幼い頃から環境の変化にとても敏感で、長い間いつも心の中はざわざわしていました。
他人の言葉や表情、些細な出来事に振り回され、自分の気持ちでさえも見えにくくなっていたのです。
社会人になってからは、毎日やらなければならないことに追われ、自分の内側に目を向ける余裕がありませんでした。
幼い頃から、遠足や運動会の前日になると胸がざわざわして眠れず、体調も崩しがちでした。
幼稚園の運動会前日、「徒競走、頑張って!きっと1等になれるよ」と両親に励まされたことが子ども心にはプレッシャーになり、翌朝はひどい嘔吐で運動会は欠席。両親が「きっとこれは自家中毒だね。」と話していたので、言葉の意味は理解できなくても何となくニュアンスが伝わりました。
「楽しみにしているのにどうして?」
「自分のままではうまくいかないのだろうか?」
子どもながらに、自分の気持ちと体の反応の不思議さに戸惑い、その後もこのような症状に迷いながら 生きてきました。

さらに、当時の時代背景もあり、父親は内気な私に外で積極的に振る舞うことを求めていました。
私は期待に応えようと常にプレッシャーを感じていたので、無理やり自分を外に出すことを試みました。
幼稚園の頃、他の組のよく知らない子に、「友達になろう」と積極的に話しかけたとき、相手に不思議な顔をされたことを今でも鮮明に覚えています。
その瞬間「私、変なことしたかも…。」と恥ずかしく思った一方で「内気な自分のままではダメだ」と自分を奮い立たせたことが忘れられません。無意識に自分らしく振る舞うことをあきらめたのだと思います。
それから先、何十年も「自分はどこか変なのではないか」と思いながら過ごしてきました。
過去の経験や感情を受け止め、少しずつ自分を認め、安心できる環境を作ろうと自分なりに回復に努めてきたつもりです。それでもどこかで「自分は変なのではないか」という思いは残っていました。20代前半、書籍でアダルトチルドレンを知った時、「これは私のことだ」と気が付きました。
そんな中、50代半ばになって、自分がHSP気質だと知りました。
「そうだったんだ。これまで無理をしていたのも、感じ取りやすい自分だからこそだった」と腑に落ちたとき、心の奥のざわざわが少しずつ静かになっていきました。敏感で、感じ取りやすい自分の性質を理解できたことで、これまでの自分を肯定できるようになってきたのです。HSP気質、アダルトチルドレンの両方を持つ自己肯定感が低い私でしたが、理由が分かった今、子どもの頃からの小さな不安やざわざわも、名前をつけることで整理され受け止められるようになったのです。
敏感で、感じ取りやすい自分を知ったことで心が静かに落ち着き、地に足が付いたような感覚を味わっています。アダルトチルドレンとしての過去も、HSPとしての自分も否定する必要はなく、ただ「そういう自分がいる」と受け止められるようになったこと。
それが、今の私にとっての安心であり、前向きに生きる力になっています。
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